差押と相殺

甲銀行は、銀行取引約定書を取り交した貸出先乙に手形貸付と手形割引があったところ、乙の債権者丙から、乙の甲銀行に対する預金に差押、転付命令があったと仮定します。このような状態にあるとき、甲銀行としてはその差し押えられた預金は全額貸出金の回収に充当しようと考えるのは当然です。しかしその場合に問題になるのが次の点です。

相殺をもって差押債権者に対抗できるか。
相殺できるとした場合、通知の相手方は誰にすればよいのか。
銀行取引約定書の約定の効力は差押債権者に対抗できるのか。
相殺した場合、その自働債権の手形はだれに交付、返還を要するか。

差押と相殺の関係については、判例の考え方は次の順にしだいに相殺権が保護される傾向が強くなって来たものといえます。

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差押当時すでに相殺適状にある場合に、相殺をもって差押債権者に対抗することができる。これは相殺の効果としての遡及効からも当然として、まず異論はありません。
差押当時には、受働債権(預金)についてはたとえ弁済期が到来していなくとも、自働債権(賃出金)さえ弁済期が到来していれば、相殺をもって差押債権者に対抗することができます。これは相殺の遡及効というのではなく、自働債権の弁済期が到来し、債務不履行の状態にあれば反対債権(預金)と相殺できる期待を持っていたと認められるので、それを差押により失わせるのは妥当でないとするものです。この点も学説は大体認めています。
前記の場合のほか、差押当時自動債権の弁済期が未到来であっても、それが差し押えられた債権(受働債権、預金)の弁済期より前に到来する期日のものであれば、相殺をもって差押債権者に対抗することができます。これは、前述の相殺の期待利益を単に差押前の弁済期にあるものだけでなく、受働債権の弁済期より前に自働債権の弁済期の定めあるものにも認めたものです。
差押当時における自動債権、受働債権の弁済期に関係なく、単に差押当時に存在した自働債権でするものであれば、常に相殺をもって差押債権者に対抗することができます。これはむしろ民法五一一条の反対解釈から、その相殺権を認めたものといえます。
そこで、本事例によれば、手形貸付の100万円については、その弁済期は未到来ではありますが、差押時には既に発生している債権であるために、昭和四五年判決によれば相殺により対抗できることになります。しかし、その場合でも、次の二点が間題になります。
普通預金20万円分についても対抗できるどうかでは、昭和三九年判決によれば、差押当時自動債権の弁済期が到来していなくとも相殺が認められるのは、自働債権のほうが受働債権より弁済期が早く到来する場合に限られるとしているのです。しかし、妥当性は別として、現在の判例から昭和四五年判決による取扱による以外にありません。
手形割引による債権によっても相殺で対抗できるかどうかでは、手形割引による債権をもって相殺するとすれば、銀行は買戻請求権によるか裏書人に対する遡求権による以外にありません。しかし、本事例では少なくとも手形期日は五月一日であるために遡求権は未発生であり、買戻請求権についても差押債権者に対抗できるか問題のあるところです。
その点はすべて当事者の利益の保護をどこに求めるべきかにかかる問題であって、一概に民法五二条の規定の文言のみによって判断すべきでないことは当然です。相殺の可否を決定するに参考になる条項としては、破産法一〇四条の規定があります。この規定では債権の発生時期を支払停止後と、破産宣告後に分けて、宣告前の発生であればその原因が支払停止前にあるものについては支払停止後の発生でも相殺が認められています。原則は本来であれば価値の下落した債権を相殺という制度を利用することによって、他の債権者より有利に回収できるようなことを防止しようということですが、宣告前の分にかぎり、それが意図した債権の発生でないものの相殺を認めたのも、その趣旨によるものといえます。そこで、この差押を支払停止の時期とみれば手形割引の時期がその前であれば相殺が認められますが、差押を破産宣告とみれば割引の時期いかんにかかわらず相殺は認められないことになります。一般には宣告の時と同じに考えるべきであるといえますが、今後の判例の考え方を待つ以外にないことになります。
相殺が可能であるとした場合に、その通知の相手方は差押債権者に対してなすべきか、または自働債権の債務者に対してなすぺきかという問題があります。その点、従来の判例によれば債権が第三者に譲渡された後に、その債権を受働債権として相殺する場合とか、差押、転付命令のあった債務を受働債権として相殺する場合には、その相殺通知はすぺて、債権の譲受人、転付債権者に対してなすぺきであるとしています。差押、取立命令や滞納処分による差押のあったときの相殺通知の相手方については問題はあっても転付命令のあった場合については、まず異論はないようです。
本事例では、銀行取引約定書の約定がなされていた場合の事例であり、同約定書の手形割引に関する条項としては、買戻債務に関する条項手形の呈示、交付に関する条項が関係してきます。第六条では、私が前条第一項各号の一にでも該当したときは、貴行から通知催告等がなくても当然手形面記載の金額の買戻債務を負う、という買戻債務の発生に関する事項を規定しています。この約定によれば、貸出先の預金について差押があると、その差押命令が銀行に到達する以前に、その差押申請のとき買戻請求権が発生することになります。もし、この約定が有効に認められるとすれば、自働債権の発生が、差押命令到達前にあれば、相殺をもって差押債権者に対抗できるとする昭和45年の最判の考え方をとるかぎり、常に買戻請求権により相殺で対抗できることになります。その点、この規定をもって特約による差押排除の規定とみてその効力を否定する説もありますが、終局は妥当性の問題に帰することになります。少なくともこの買戻請求権が特約により発生することになる債権であり、その債権をもって相殺することも差押債権者に対抗できることは異論のないところです。
手形債権を自動債権とする場合には、その手形の呈示、交付が手形の呈示証券性、受戻証券性から必要であり、効力要件となり、同時履行の抗弁権付債権を自働債権とする場合は、抗弁権を排除してからでないと相殺できないのは当然です。そこで、手形貸付の手形や買戻請求権の目的となっている手形は、一般に同時履行の対象になっていると考えられているので、手形貸付や買戻請求権を自働債権とするものであれば、その相殺にはあらかじめ同持履行の抗弁権が放棄されているか、その返還と同時にでないと相殺ができないことになります。銀行取引約定書の第八条一項において、そのいずれの場合も放棄する約定があるので、現実には返還と同時でなくとも相殺が可能となるのです。ただ、それは相殺の相手方が当該約定の当事者である場合に限られるものであることはいうまでもありません。相殺の相手方が、たとえば差押債権者のようにこの約定の当事者以外の者である場合には、この規定の適用はありません。そこで、つぎに相殺が可能だとした場合に、本事例の自働債権である手形貸付や買戻請求権の手形は、転付債権者に返還しないと、相殺ができないかということが問題になります。その点に関する判例には、甲銀行が乙に対する手形貸付金の担保として質権を設定した預金が、乙から丙に譲渡された後に、質権を実行し手形貸付の手形を貸出先乙に返還したら下法行為責任が生じる、とか、差押時に相殺適状にあればその手形は乙に返還してもよいが、相殺適状が差押後に成立する場合は、差押債権者丙に返還しなければならないというものがあります。その結果、相殺適状の時期によって、相殺通知の相手方と手形の返還先が相違してくることがでてくるのです。
それは相殺が手形返還の同時履行の坑弁権が付着した債権による相殺であるのであれば、当然その抗弁権喪失の事実が認定されないかぎり、手形の返還なくして相殺の効力は認められないのです。相殺の効力の生じないものについては、むしろ差押債権者は被差押債権の弁済を請求すべきなのです。そこで、相殺適状が差押前にある場合について、その相殺が有効に成立するための要件としての手形の返還は一体誰にすべきかということになります。相殺が有効であれば遡及効によって差押前にその預金が消滅しているから差押の効力も失われるかもしれませんが、その前の相殺の効力の発生要件が不明確な点にこれら判決の問題点があるものといえます。また、相殺適状が差押後に到来する場合についても、自働債権が手形債権である場合には、手形債務者以外の者(差押債権者)に対する呈示、交付が相殺としての手形債権の行使になるかという点についての疑問もあります。

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