相殺権の濫用

債権回収の手段として、相殺は最も簡単で確実な方法です。相殺は、債権者が自分の債権の債務者に対し、債務を負担している場合に、一方的な通知によって行なうものですが、相殺をすることができるということは、法律によって認められた利益であり、これを一般に相殺権といっています。したがって、相殺権があるということは、相殺できる地位にあるということであり、相殺権の行使とは、相殺の意思表示を行なうことにほかなりません。

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権利の行使は信義誠実の原則に従い、権利の濫用は許されないということは民法の原則ですが債権者が自己の債権に基づいて相殺の意思表示を行なうにあたっても、その濫用は許されず、信義誠実の原則に従って行なうことが必要です。そして、相殺の意思表示が権利の濫用であると認められるときは、相殺の効力が認められないことになり、本来適法であるはずの相殺が違法性を帯びてくることになります。
このように一般論としては、相殺にあってもその濫用が許されないのは当然なのか、問題はいかなる場合に濫用となるかということです。そしてこのことが問題となる場合としては、次のようなものがあります。
債権者甲が乙に対し、例えば100万円の債権を有し、一方甲は乙に対し、100万円づつ二口ABの債務を負担していたとします。この場合に、甲は、本来乙のABどちらの債権と相殺してもかまいませんが、乙の債権者丙がAの債権を差し押えた場合に、甲がA債権を狙い打ちして相殺し、B債権については乙に払い戻してしまったとすると、差押債権者である丙との関係で、相殺の濫用が問題となります。この関係が争いになったものとして、大阪地裁昭和49年2月15日判決があります。この事案では、乙に相当する建築請負業者が、甲に相当する建主に対し工事代金債権を有しており、その履行期は、昭和43年3月10日227万円、4月10日250万円、5月10日265万円、6月10日225万円というようになっていました。ところが丙に相当する乙の債権者が、このうち100万円について仮差押をし転付命令を得て甲に対しその支払を請求したところ、甲は100万円を残して他の部分を乙に支払い、残った100万円については、工事遅延による違約金との相殺を主張して、その支払を拒びました。これに対し判決は、このような場合の相殺は権利濫用であり、これを理由に丙に対する支払を拒むことはできないとしています。このような事例は銀行取引において生じやすく、債務者(乙)が数口の預金を有している場合に、債権者(丙)がそのうちの一部を差し押えたところ、銀行(甲)が差し押えられた預金を狙い打ちして相殺し、他の預金を乙に払い戻してしまうという場合がこれにあたります。このような場合に、それが銀行の債権保全のためではなく、丙の執行を妨害するためであれば、権利の濫用というべきであり、銀行が相殺を行ないながら、なお貸出取引を継続するような場合も、権利濫用の疑いが強いといえます。
銀行(甲)が貸出先(乙)に対し貸付金債権を有し、これについて、不動産、手形、有価証券などの担保を有している場合に、乙の預金と貸付金債権との相殺が問題となります。このような場合、甲乙間では特に間題はなく、乙として担保権を実行されるよりは、預金と相殺された方が有利です。ところが、この預金を乙の債権者丙が差押た場合には、丙の立場と銀行(甲)のする相殺との関係が問題となります。この点が争われたものとして、大阪高裁昭和48年8月6日判決があります。この事案では銀行(甲)の貸出先(乙)の預金を、乙の債権者丙が差押えたところ、銀行は乙に対する割引手形の買戻請求権と預金とを相殺し、不足額については別途返済を受けて、手形を乙に返還してしまいました。そこで丙から、この相殺は違法であるとして損害賠償の請求をしたのに対し、判決では、銀行が預金のほかに担保手形を有している場合、銀行としては担保手形から回収できなかった額についてのみ相殺すぺきであり、これを超える金額については、相殺の効力は生じないとしています。この判決は、この場合につき民法三九四条の法理を適用すぺきであるとしていますが、これは、民法三九四条が不動産担保についての規定であること、また相殺は担保の一種であり、手形担保か相殺かということは、どちらの担保権を選ぶかという問題であって、担保物件から回収するか一般財産から回収するかという問題ではないことから、賛成することはできず、したがって担保権によって回収することができない金額についてのみ相殺の効力が生じるという考え方をとることはできませんが、このような場合、丙の強制執行を妨害する目的で相殺を行なったのであれば、権利濫用として相殺の効力が否定され、あるいは相殺の効力は認めるとしても、相殺が違法性を帯び、丙に対し損害賠償責任を生じることがあるのではないかと考えられます。このような場合は、相殺も担保権の行使とみて、どの担保を実行するかの問題であり、原則としてその選択は自由であるために、濫用となる場合は少ないと思われますが、他に相殺と同程度に回収し易い担保があるような場合には、問題となることが有り得ます。
銀行(甲)の貸出先(乙)が、手形の不渡処分を免かれるために、手形交換所に対し異議申立てを行ない、そのための資金として銀行に対し手形金額と同額の資金を預託することが行なわれています。この預託金の返還請求権を、手形債権者(丙)が差し押えた場合、銀行が乙に対する貸付金債権と預託金返還請求を相殺することも、問題とされています。この場合預託金は、その手形を支払う資力のあることの説明として手形交換所に提供されるものであるために、経済的にはその手形の裏付となっていますが、法律的には手形債権者の担保とはなっておらず、相殺の一般的要件を満すかぎり、銀行が相殺することは可能であるとされています。しかしこれに対しては、不渡処分の脅しのもとに銀行が勧めて預託金を積ませ、銀行の債権保全に利用しているという批判もなされています。この問題は、不渡異議中立提供金制度の実質と法律上の建前のズレから生じるものであり、制度自体の再検討によって解決すべきと考えられます。
銀行(甲)の貸出先(乙)に保証人(丁)がいて、乙も丁も預金があるという場合、銀行としてはまず乙の預金と相殺し、乙から回収できない金額 について丁の預金と相殺すぺきです。丁が連帯保証人であれば丁の預金と共に相殺することも差支えありませんが、保証人の負担部分は本来零であるために、なるべく主債務者から回収するようにするのが望ましいのですが、乙について破産等の手続が開始し、あるいは他の債権者丙が強制執行した場合まず債権全額について配当加入し、残額について丁の預金と相殺するのと、先に相殺をして配当加入をするのとでは、他の債権者に対する配当額が違ってくる場合が生じます。保証の機能からいえば、これは当然のことともいえなくはないのですが、状況によっては、相殺をしないことが、濫用であるといわれる恐れがあります。
以上が相殺の濫用が問題となり得る具体的な場合ですが、結局のところ相殺は債権者の権利であり、債権者が不利を忍んでまで相殺を制限される理由はありません。むしろ債権保全のための相殺の合理的な期待は、法律上強く保護されているといえます。そしてそのために、結果として第三者の利益が害される場合のあることはやむを得ません。しかし、積極的に第三者の利益を害するために相殺を行ない、あるいは第三者の利益を害さない方法があるのにあえて害する方法を選んだ場合には、権利の濫用とされる可能性が強いといえます。

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