任意の履行に期待する仮処分

任意の履行に期待する仮処分という言葉は、戦後、解雇された労働者の地位保全の仮処分の方法はいかにあるべきかの問題に端を発して、盛んに論議されるようになりましたが、これは、その効力の点からみたある種の仮処分をさしていわれたものであって、本来は便宜的な概念です。したがっていかなる仮処分をもって任意の履行に期待する仮処分というかは、ある程度、言葉の問題であり、若干広狭の差があります。仮処分命令のなかには、執行力を有せず、したがって保全目的を達するためには、債務者の任意の履行に期待するほかないものがあります。任意の履行に期待する仮処分とは、このようなものをいうといってよいでしょう。任意の履行に期待する仮処分についても、間接強制は許されるとする説がありますが、間接強制のできるような仮処分は、任意の履行に期待する仮処分のなかに入れなくてもよいと思われます。

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任意の履行に期待する仮処分のなかには、昭和二二年法律第一五三号による改正前の人事訴訟法のもとにおける夫婦の同居を命じる仮処分のように債務者に一定の作為を命じるものもあれば、たんに物の占有移転禁止を命じたり、あるいは有体動産の譲渡禁止を命じたりする仮処分のように債務者に一定の不作為を命じるものもあります。物の物的現状が変更されるおそれある場合になされることのある執行官保管、債務者使用許容の仮処分は、執行官保管に付されたのちに、債務者が当該物の物的現状変更をしてしまえば、債権者は、もはやこれによって原状を回復することはできないものと解されるのですが、そうだとすると、このような仮処分もまた任意の履行に期待する仮処分の性質を含んでいるものということができます。しかし以上あげたようなものは、いずれもいわゆる任意の履行に期待する仮処分としては、いわば特殊なものです。
一般に、仮処分命令が執行力をもつか否かは主文の形式によるのであり、この点は本案の判決の場合とかわりません。債権者が一定の権利もしくは地位を有することを仮に定める、という主文形式の仮処分があります。かかる仮処分は、執行力を有せず、任意の履行に期待する仮処分の典型的なものです。その代表的なものとして、解雇された労働者の地位保全の仮処分としてなされる労働契約上の権利を有することを仮に定める、とか、従業員たる地位を仮に定めるとかの仮処分があります。
主として労働仮処分事件においてですが、債務者のした一定の行為、例えば解雇とか配転下命とか除名とかにつき、それがなされなかったと同一の地位に置く、とか、その効力を生じないものとする、とかいう主文形式の仮処分もありますが、これは典型的主文形式によるものと同様のものと解しうるので任意の履行に期待する仮処分といえます。債務者のした行為の効力を停止するという主文形式のものもあり、これには若干疑間はありますが、やはり同様に解されます。さらに、債権者が一定の権利もしくは地位を有するものとして取り扱わなければならない、とか、取り扱え、とかいうものや、あるいは、債権者はある一定のこと、例えば仲裁裁定とか労働協約とか就業規則とかに徒わなければならない、とかいうものもあります。かかる主文形式のものは、それがいかなる態様の命令なのか主文をみただけでは必ずしも明らかとはいえません。これらのなかには債務者に作為を命じた趣旨のものもありますが、命令内容が包括的すぎると、実際上債務名義の役を果たしえないことも起こりえます。また、これらのもののなかには、典型的主文形式によるものと同様の趣旨のものもなくはありません。そのようなものであれば、任意の履行に期待する仮処分ということになります。
任意の履行に期待する仮処分は、形成処分だというのが通説です。広義における任意の履行に期待する仮処分のなかには係争物に関する仮処分としてなされることのあるものもありますが、一般に、任意の履行に期待する仮処分は、仮の地位を定める仮処分としてなされます。仮の地位を定める仮処分は仮処分だというのが通説であり、任意の履行に期待する仮処分が形成処分であるとの通説はこれによっているのです。しかし、仮の地位を定める仮処分が、すぺて形成処分だというのはあたりません。例えば仮の地位を定める仮処分としてなされる一定の作為を命じる仮処分を形成処分ということはなく、保管人に物の保管を命じる仮処分についていっても保管人の選任部分だけが形成処分であって、ほかは保管人に事実行為としての保管を命じているのです。したがって任意の履行に期待する仮処分が仮の地位を定める仮処分としてなされたからといって当然に形成処分だとはいえません。問題は仮処分の訴訟物論にあります。仮処分の申立ては、被保全権利または争いある権利関係と保全の必要性との二つを要件として生じ、それによって、その同一性が定まる一定の主張を訴訟物とするという仮処分訴訟物についての通説的見解を前提とするかぎり、任意の履行に期待する仮処分によって生じる権利関係は被保全権利とは別の権利関係であり、仮処分は形成処分であるといわざるをえません。しかしながら、任意の履行に期待する仮処分が形成処分であるとの説によると、任意の履行に期待する仮処分において、債権者が被保全権利としてなんらの形成権を有しないときにも、被保全権利とは別個の法律関係を形成することになるので、一体そのようなことは仮処分の方法として許されるのでしょうか、債権者に被保全権利の満足以上のものを与えることにならないのか、仮処分によって形成される法律関係が被保全権利とは別のものであるというならば、両者の関係はどうなのか、もし債務者の任意の履行があったとしたら、そのどちらが履行をうけたことになるのか、一方が履行をうけたら他方はどうなるのか、被保全権利が消滅しても仮処分で形成された法律関係は、仮処分が取り消されないかぎり存続していくのか、形成裁判の形成力は第三者にも及ぶというのが通説ですが、仮処分の形成的効力を第三者にまで及ぼすのは行きすぎでないかなどの容易には解き難いような疑問が次から次へと生じてきます。このことは、任意の履行に期待する仮処分を形成処分とみるのが無理であることを示しています。この仮処分によって仮に定めるとされた権利関係は、実際上も法律上も、被保全権利と異なったものではないことを、直視することから出発すべぎです。これを直視すれば、任意の履行に期待する仮処分は、被保全権利についての確認的仮処分であると解すべきです。そもそも、任意の履行に期待する仮処分とか、いわゆる断行仮処分としてなされる給付的仮処分のように、仮処分の主文が被保全権利の本案認容判決主文と同じようなものとなる仮処分は、本来暫定的なものであるべき仮処分としては、異質のものであり、民訴法の立法者の予想しなかったものと思われます。かかる異質の仮処分については、その特質に適合した独自の仮処分訴訟物論として、仮処分申請の同一性は被保全権利のみで定まるという理論をたてることが許されてよいのではないかと考えられます。

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