不法行為責任の理論

近代市民法は、あらゆる法律上の効果は個人の意思に基づいて発生するという基本的建前を明らかにすると同時に、他人に対する責任の有無についても、その帰責原因を個人の主観に求め、個人が自己の加害行為について責任を負うのは、その行為が自己の故意または過失に基づく場合に限るという建前をとります。これを自己責任の原則、過失責任の原則といいます。民法でも、故意又は過失に因りて他人の権利を侵害したる者は之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ず、と現定して、過失責任主義の建前を明らかにしています。行為者が、自己の故意または過失、不注意によって他人に損害をもたらした場合に、損害の賠償を義務づけられることは公平であり、いわば自業自得であって、これによって社会の秩序と正義が維待されます。もし、行為者が万全の注意を払ったのに、故意、過失なしに他人に損害を被らしめたという場合にも、行為者に損害の賠償義務を課するとすれば、その結果は行為者に酷であるのみならず、注意をした者としなかった者とを同列に扱うことになって公平に反します。それだけでなく、その結果、人は他人に損害をかけまいとする努力を怠るようなことにもなります。また、一方で故意、過失がないのに損害賠償義務を課せられるということになっては、各人の活動は萎縮し、社会における自由競争は著しく阻害され、個人の自由な活動による経済、社会の発展はとうてい期待できなくなります。そこで過失なければ責任なしという過失責任主義が確立し、これが、近代市民法における不法行為制度の基調だと考えられるようになったのです。過失責任主義は、行為者の立場を中心にして考えるときは、まさに公平妥当で正義に合致するものということができ、個人の自由活動、個人の自由競争を尊重する個人主義的自由経済のもとにおいて、人の活動の自由を担保するという機能を果たし、そこにその存在意義が認められるのです。
過失責任主義は、行為者、加害者の行動の自由を確保する反面、被害者の側には必ずしも十分な救済をもたらすものとはいえないものがあります。特に資本主義の進展につれて近代的大企業が幾多の機械的、化学的危険をその企業の外部に散布し、また、現代科学の力をもってしてもとうてい防止できないような危険を企業内部において限りなく包蔵するという必然性を露にする現状の下において、企業経営者側に故意、過失がないからといって企業の内外に生じた損害について賠債責任なしとすることは、決して公平妥当なものであるとはいえません。それが社会的正義の立場から放置されていてよいのかということが問題とされ、過失責任主義が反省されるようになりました。

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